一人目を生んで5年。
不妊治療してやっとの思いで二人目を授かった。
上の子と少し年は離れてしまったけど、念願の第2子に喜んだ。
一人目の時は男の子でも女の子でもどっちでもよかった。
生まれたのはやんちゃでおバカで純粋で、とってもかわいい長男だ。
そして、二人目は女の子がよかった。

産み分けに関していろいろ調べた。
でも、不妊気味だったから結局のところ産み分けにこだわってられなくて、2年かけてやっと妊娠できた。
やっとの思いで出来たと思ったら、性別は男の子だったって判明したわけで。
女の子が欲しかったけど、男の子だった。
3人目は考えていない。
そんな状況で少し気持ちが落ち込んでいけど、私はもう吹っ切れていて、むしろ「男の子でよかった!」くらいに思えるようになった。
どんな風にその境遇を受け入れたのか、私の心境の変化を書いていこうと思う。
性別判定で「男の子」の結果
エコーで紛れもないシンボルを発見!
性別判明は22週頃の妊婦検診。
性別を聞いたら、すぐさまお股の間にどーーん!とゾウさんの形をしたシンボルを見せられた。
先生に言われるまもなく、
と叫んでしまった。
先生は
とあっさり(笑)
あれだけ綺麗に映ったお股の凸マーク見せられたら確定だよね。
いやいや!もしかして見間違いなんてことは・・・あるかな?
2回連続男の子判定だったら信じる。次回もう1回聞いてみよう。と心の中で思ってたら、タイミングよく先生が、
とカルテを見ながらダメ押しの一撃。
先生、私の心の中が読めるのか・・・!?
エコーをじっくり時間かけて見る胎児ドックで男の子だったんなら、もう確定じゃん。
という流れでおなかの子は男の子であることが決定的となった。
胎動を感じ、「君はやっぱり男の子だったか・・・」と思いながら病院を出た。
数日間は落ち込んだ

男の子と判明して数日。
希望の性別ではなかった。
2分の1の賭けに負けたような、なんとなく悔しさを感じて過ごしていた。
男の子だって女の子だって、どちらだって私の子どもなのに。
授かれたことが奇跡なのに。
なんで性別にこだわっちゃってるんだろう。
性別のことで我が子に対してネガティブが感情を抱いてしまっている自分への嫌悪感も強かった。
心の中で「男の子でもいいじゃん」って本心でもないことを言い聞かせようとしていて、心の底から喜べてないことに自己嫌悪の感情がうずまいた。
でも、お腹の子は愛おしかった。
数日落ち込むと、急に冷静さを取り戻してきた。
本当に女の子が欲しい?
さて、私はなぜ女の子が欲しいと思っていたのか振り返っていた。

女の子が欲しかった理由は「エゴ」だった
改めて考えた。
なんで女の子が欲しかったんだっけ?
私が女の子が欲しいと思っていた理由を思い出してみた。
- 今は女の子の方が人気!私も女の子育てたい
- 自分が女だから、女の我が子の顔見てみたい
- 上の子が男の子だから、両性育てたい
- 女の子の方が洋服やベビーグッズがかわいい
- 大きくなっても仲良くランチやおでかけできる
- 孫にたくさん会える
- 老後に世話してもらいやすい
・・・とか?
こうして冷静になっていざ振り返ってみると大した理由じゃなかった。
そんな理由かよ
って馬鹿らしく思えてきた。
私の心の中のつぶやき・・・
今は女の子の方が人気!私も女の子育てたい
人気ってさ、流行?
男女に人気も何もないよね。
ファッションじゃあるまいし。
男か女かの2通りしかないものに対して、人気だとか勝ち負けだとか判断することがナンセンス。
自分が女だから、女の我が子の顔見てみたい
絶世の美女が言うならわかる。
でも、自分に似た子・・・?
鏡を見て思った、「おまえが言うな」(笑)
女の子は男の子以上に見た目で判断されがち。
私の場合、自分に似た子はそこまでほしくないかもしれない。
上の子が男の子だから、両性育てたい
上の子とちがう種類がいい〜♪みたいなノリ。
何のコレクション?
性別コンプリートするなら、もっとほかにコンプリートさせるべきものがある。
上の子と同じ性別だからって同じように育つと思っているのか?
女の子の方が洋服やベビーグッズがかわいい
女の子のグッズってそんなにかわいい・・・?
かわいいと言われるのは、淡いピンクとかムラサキとかの、ひらひら?フリフリ?ついた洋服とかのことなのかな?
私、正直そういうのあんまり趣味じゃないということに気が付いた。
むしろ、私の好みとしては、赤!黄色!原色!ピンクなら桜色よりショッキングピンク!みたいな色の方が好きだし、柄も水玉やハート柄より、チェックとかボーダーが好き。
そういうのって男の子の洋服に多い気がする。
大きくなっても仲良くランチや買い物、おでかけできる
娘と仲良くなれる保証もないのに。
女の子だと絶対に自分と同じ趣味・感性を持っていて気が合うはずと思っているのか?
ランチや買い物は一人でも行けるし、一人の方がゆっくりじっくり過ごせるから、私は一人で行きたい派だ。
私はランチならおしゃれカフェよりも一人でフラッとラーメン食べに行きたい(笑)
孫にたくさん会える
娘が結婚するかどうかも、子どもを欲しがるかどうかもわからないのに、すでに孫プレッシャー?
大きくなったら結婚して、子ども(←ここもまさか女児限定!?)作って、3世代仲良し!ってか?
私は子どもが巣立ったら、自分の時間を謳歌したいな。
子どもには自立してほしいし、ときどき会いに来てくれるくらいで十分かも。
老後に世話してもらいやすい
老後の始末はできるだけ自分でしましょう。
子どもに世話かけるのはお葬式くらいにしておきたい。
アテにされる子どもがかわいそうだ。
こうして一つひとつ女の子が欲しい理由を見ていくと、ばからしくなってきた。
女の子っぽいものが好きだったり、女子会でおしゃべりするのが好きだったりする人を否定するつもりはない。人それぞれ、好きなものはちがうからね。
でも、私は、そういうの好きじゃないんだった。
あれ・・・私、なんで女の子がほしかったんだっけ?
女の子は可愛い。でも男の子だって可愛いじゃん。
可愛くない我が子なんていない。

私の場合、「女の子が欲しい」と思っていた理由のほとんどは親のエゴだった。
そして、大した理由じゃなくて、周りに流されてるだけだった。
むしろ、男の子の方が私には合ってるんじゃ・・・?
私自身が「待望の女の子」だったけど・・・
実は両親にとっては私自身が「待望の女の子」だった。
私には兄が2人いる。私は第3子で初めての女の子。
母はとっても喜んだらしい。
やっぱり、服がかわいいとか、娘と仲良くおでかけしたいとか、そういう理由で女の子が欲しかったんだって。

でも、実際、私は母とそんなに仲がいいわけではない。
だって、私は母とあんまり気が合わないから。
心のつぶやき・・・その2
「女の子なんだから・・・」の決め付け
私は、小さい頃から母・叔母(母の妹)・祖母(母の母)たちの女軍団に、「女の子なんだから○○しないの!」「女の子だから○○好きでしょ?」と決めつけられることが多かった。
特に従姉(叔母の娘)がおとなしくて顔も可愛くて華奢で女の子らしい子だったから、なおさら比較された。
私は兄がいる影響もあってか、そんなに女の子らしい方ではなかった。
小学生の頃には「女の子だから、amiの将来の夢はお嫁さんかな?」とか言われて、すごく気分が悪かった。
「夢がお嫁さんてなんだよ。私は専業主婦なんかにならん!働くわ!!」って口悪く言い返したのをおぼえている。
その反応も「あらあら。そんなこと言って~」とか否定されて余計にむしゃくしゃ。
私は別に男に生まれたかったとか、男になりたいとかまでは思ってなくて、ただ「女だからこう!」って決めつけられるのが嫌だった。
本心ではピンクが好きなのにピンクは絶対選ばなかった。
本当はキティちゃんが好きだけど、けろっぴを選んだ。
母や祖母へのささやかな抵抗だった。
おしゃべり大好き・口が軽い
母たちの関係性を間近で見ていて、姉妹や母娘のべったりした関係には違和感をおぼえていた。
だって何でもベラベラ話のネタにして、秘密もプライバシーもあったもんじゃない。
進路のこと、部活のこと、彼氏のこと・・・何でもかんでも叔母や祖母に話してしまう。
姉妹や母娘の関係って、そんなに何もかもおしゃべりするのか。
ちゃんと秘密を守ってくれて私の知られたくない気持ちに寄り添ってくれる母だったら、もっといろんなこと話したと思う。
でも母に言うとべらべらと言いふらされてネタにされるから、思春期以降は少し心の距離を取るようになった。
悪意があるわけじゃないんだろうな。母は誰かに話すとすっきりするし、母自身の気持ちを誰かに共有したいだけなんだと思う。
価値観が合うのは稀
親子でも価値観がぴったり合うことって稀なんじゃないかな。
私も母親とは趣味も好きな食べ物も好きな色も何もかも違う。そもそも気が合わない(笑)
だからもし女の子を授かれても、親としては娘が自分の理想どおりに育つという期待を持つよりも、子どもの気持ちに寄り添う努力の方が大事だと思う。
そういう親だったら、理想的な親子関係になれそうだし、それには男女はあまり関係ないように思う。
「男の子でよかった」と思えた4つの理由
いろいろと考えていたら、性別なんてちっぽけな問題なのかもと思えてきた。
① 性別よりも「個性」
女の子は育てやすいという話。
よく言われることだから、多少はそういう傾向はあるんだろう。

でも、「男だから・女だから」って価値観を押し付けるのではなくて、その子一人ひとりの個性の部分をもっと見てあげたい。
子どもからしたら、親の価値観なんて知ったこっちゃない。
ましてや、「男の子で残念だね。女の子がよかったね。」と本気で思っているような考えの親なんて、子どもがかわいそうすぎる。
親の価値観でがんじがらめにして育つ子は私のようにひねくれる可能性大!
うちの母親にとって、女の子らしくない私はものすごく育てにくい娘だっただろうし(笑)
女の子希望!と思ってたけど、娘が自分の理想どおりの女の子に育つ保証はどこにもなく、子どもの立場からしたら親の理想を押し付けられたくないはず。
親として、のびのびと子どもの個性を伸ばしてあげられるような育て方をしたいと気付いた時には、性別なんてどっちだっていいんだなと思えるようになった。
② 性別よりも「人間性」
ふと、皇室の例も思い出した。
日本国内で最も性別に対するプレッシャーをかけられた女性は、まぎれもなく皇后陛下雅子さまだろう。
宮内庁のホームページで、愛子さまがお生まれになった時の雅子さまのお言葉を読んだ。
雅子さまの周囲には、女の子だったという結果にがっかりした関係者はきっといたはず。
でも、雅子さまが会見で涙をこらえながら発されたのは「生まれてきてくれてありがとうという気持ちです。」という言葉だった。
この言葉に心を打たれた。
雅子さまご自身は、愛子さまが女の子だったことに対して負の感情は一切持っていないということ。
なんて素敵なお母さんなんだろう。
20年経ち、愛子さまは立派に成長された。成年会見も素晴らしかった。
尊敬できる日本の象徴として立派に成長された。
皇室のこと、国民はよく見ている。
誰と比べるわけじゃなく、「男だからいい」「女だからだめ」ということはない。
結局はその人物の人格だったり生き方だったり、内面的な部分が重要視されるんだということ。
ましてや、自由に生きられる一般人である私たちが性別にこだわる必要あるだろうか。
希望の性別を生むことよりも、豊かな人間性の子を育てることの方が立派なことなんじゃないかな。
③ 周囲の声は「世間話」
男の子だとわかってから、周囲の反応は様々だった。
予想どおり、嫌味な反応もあった。
「まぁ」とか「も」って何!?
は?二人目もまだ生まれてないっすけど。
女の子の方がよかったってか?
性別に関していろいろな反応があり、時にはイライラさせられることもあった。
でも、気付いた。
みんな、そんなに深く考えて発言してない。
まだ生後数ヶ月の長男を連れて歩いてたとき、道端で会ったおばあさんにも言われた。
「次は女の子産まないとね!」って。
そのときは次なんて考えてなかったし、気にも留めてなかったけど、タイミングが違えばイラッとしてしまったかも。
でもおばあさんの発言は悪意があったわけじゃなくて、単に世間話のつもりだったんだと思う。
ほとんどの人が本当に「男はダメ!」なんて思っているわけではない。
大半は「今日はいい天気ですね」くらいの軽い挨拶くらいな感覚なんだろうな。
だから、基本的に周囲の声は聞き流すがベスト。
マウント取ってくる人なんていたら、もう疎遠にしてしまえばいいよね。
④ 男の子兄弟ならではの良さ
男の子兄弟もいいものだと思う。
だって、福山雅治だってイチローだって男の子2人兄弟の次男だ。
スノボの平野歩夢選手は男3人兄弟だし、KAT-TUNの亀梨くんなんて男4人兄弟らしい。
うちの息子はヒカキン・セイキン兄弟が大好きで、弟ができることを楽しみにしている。
男の子兄弟、すごい人いっぱいいる!!とモチベーションになる。

うん、もともとは女の子が欲しかったよ。
でも、もし私が希望どおり女の子を授かっていたら、性別よりも大切なことに気がつけなかったかもしれない。
「私は男女両方産めたのよ〜」なんてドヤ顔しちゃってたかもしれない。
子どものためにも、そんな大人にならなくてよかった。
気づかせてくれた次男に感謝。
いつか、絶対にこう思う日が来る。
この子を産んで、本当によかった、って。